平成28年6月1日、大手製紙会社(上場)の子会社から約6600万円を着服したとして、子会社の元総務部長(60歳)が業務上横領の疑いで逮捕されました。着服した金は複数の女性との交際費や競馬、投資などに充てていたようです。

会社は昨年5月、容疑者が2000年から約25億円を着服していたと発表し、懲戒解雇とともに警視庁に告訴していました。

これはたった一人の男が約15年間にわたり、ありとあらゆる横領・着服の手口を駆使し、会社から25億円もの現金をせしめた事件です。この事件は上場会社の子会社を舞台に発生したため表ざたになりましたが、使われたさまざまな不正の手口は特に中小企業でよく見られるものです(中小企業で起こった不正は余程でない限り公にならない)。今回のコラムでは、会社が公表した調査報告書をもとに、この横領・着服の手口を解説します。中小企業の不正対策にとって、極めて有用な材料になるでしょう。

最初に今回の横領において、現金を手にするために使われた手段を説明しておきます。この着服金額約25億円はすべて会社の預金です。すなわち、会社の預金口座から引き出しているのです。引き出す方法は、「会社が振り出した小切手を銀行に持ち込み現金化する」「自分の口座に振り込む」の2つです。預金や小切手を扱える者ならば、誰でも可能な方法であり、よくある手口です。今回の事件で珍しいのは、預金を横領したあとの隠ぺい工作が、極めて周到かつ複数の手口を利用していることにあります。まさに、典型的な隠ぺい工作を網羅した事件と言えます。実際の隠ぺい・偽装工作は次のとおりです。(会社が公表した調査報告書より抜粋。一部は筆者推定)

偽装工作①:
《横領した預金口座の残高が会計帳簿と不一致になるため、不一致差額を資産科目に振り替える》
預金を着服したことにより減少した金額を次の資産を購入したと見せかけた。
・棚卸資産
・前払費用

偽装工作②:
《当座貸越契約のある銀行からの借入額を会計帳簿に記帳しない(簿外借入)》
預金口座残高が著しく減少すると怪しまれるため、預金からの着服以外に、当座貸越契約による借入を実行し、それを着服した。その借入額は会計帳簿に記帳しない。

偽装工作③:
《銀行から入手した残高証明書(借入金)を改ざん・偽造する》
簿外の借入金があるため、銀行残高証明書と会計帳簿は不一致になる。銀行残高証明書を偽造あるいは改ざん。

偽装工作④:
《横領・着服金について、株主・税務署に提出する財務諸表には、架空の棚卸資産などを計上したり、借入金を簿外処理したりして発覚しないよう偽装した》
財務諸表に添付する内訳明細書も改ざんするなど、外部に悟られないようにした。

偽装工作⑤:
《銀行に提出する財務諸表及び内訳明細書には簿外も含めた正しい借入金を記載する》
簿外になっていることが銀行にバレないようにするために、相手先銀行の残高に合わせた正しい借入金を財務諸表に計上した。増額させた借入金の相手勘定は、棚卸資産などの資産勘定に計上し、辻褄を合わせた。(財務諸表の表示上、借方:棚卸資産、貸方:借入金とする)

偽装工作⑥:
《横領とは別に、自身の業務上のミスで会社に損失与えたことがあり、これを隠ぺいするために、売上を粉飾し、架空の売掛金を計上した》
この架空売掛金の回収は、簿外の借入を実行し、それを入金させて回収にあてた。

このような偽装工作を可能にし、さらに15年もの間、全く発覚しなかったのはなぜでしょうか。まずは、この事件の背景を考察してみます。その際に、是非とも不正トラップ(①金の流れ、人の動きを熟知している ②丸投げの信頼を得ている ③自分の行為を正当化できる)が成立しているかどうかを考えてみてください。

(事件の背景と発覚の経緯-現代ビジネスより抜粋。一部は調査報告書からも抜粋)

1.容疑者はもともと親会社の上場製紙会社で働いていたが、出世コースから外れたのか、1999年に子会社(本社は東京)に出向する。横領を始めたのは2000年頃からである。そして、子会社の本社が長岡市に移転し、容疑者も同市で暮らすようになった2009年以降、横領の額は一度に数千万円にまで跳ね上がった。(当初は一度に300万~600万円程度を着服していた)

2.容疑者は当初総務部課長として経理や財務を担当していた。小切手の振り出しには銀行への届出印などが必要になるが、当時の社長は非常勤。副社長(銀行届出印を管理)も事業について詳細な内容を知らなかった。容疑者は口頭で説明するだけで、簡単に押印を受けられる状態だったとされる。

3.容疑者は当初総務部課長であったが、2006年11月に総務部副部長に昇進し、翌2007年11月には総務部長に昇進した。以後は経理・財務業務におけるトップとして、上位の役員の入れ替わりが続く中、各種の承認権限とともに大きな権威を持つようになった。一貫して経理業務・財務業務を取り仕切り、権限が拡大することに伴い、不正の隠ぺいも容易になったと考えられる。

4.容疑者はバツイチで、子供や孫が長岡を訪ねてくることもあったという。

5.仕事にはまったくやる気を見せなかったという。親会社から子会社に出向させられ、さらに地方に転勤。そのことによる鬱屈、そして諦めのような思いも、横領に拍車をかけたのかもしれない。

6.容疑者は身長165㎝くらいのぽっちゃり体型。おとなしくて地味なタイプ。人とご飯を食べていても、うなずいて聞いていることが多かった。誰が見てもうだつが上がらない初老の男。

7.容疑者に貯蓄はなく、2人の愛人に相当なカネをつぎ込んでいたようだ。ギャンブルや酒にもつぎ込み、競馬では単勝一点買いで100万円賭けることもあったという。

8.会社に対して「解約した」と報告した口座をひそかに使い続け、横領を行っていたが、容疑者がたまたま会社を休んだ日、取引がないはずのその銀行から返済予定表が届き、後日、そのことを問い質された容疑者は、ついに長年着服を続けていたことを告白し、横領を認めたのである。

ここからは、容疑者が不正に手を染めた原因を考えてみます。まず、動機は何でしょうか?愛人に貢いだり、ギャンブルにはまったりしたことでしょうか?

実はこれらは、積極的な動機とは言えないのです。積極的な動機とは生活に困るほどお金に困っていたり、やむを得ない事情(事故の賠償、病気など)でお金が必要だったりすることです。このような積極的な動機の場合には、必要額以上に不正金額が膨れ上がることはまずあり得ません。発覚する前に何とか返そうとします。

ところが、積極的な動機がない不正の場合、不正金額は無制限に拡大します。今回の事件では、まずは預金を横領し、預金が不足してからは簿外で借り入れることまで行っています。すなわち、発覚するまで無制限に拡大していくのです。このような不正の本当の原因は何なのでしょうか?

それは、助言2やコラム第3話でも取り上げた「不正トラップ(罠)」にあります。もう一度、確認しておきましょう。

不正=「不正を行うのに圧倒的に優位な状況を目の前にすると、その誘惑に負けて良心の呵責を乗り越えてしまう」という人間の持つ本質的な弱さ

これは経営者から従業員まで、すべての組織構成員に当てはまります。

そして、「不正を行うのに圧倒的に優位な状況」のことを不正トラップ(罠)と言い、次の3つの状況を指します。不正防止とは不正トラップに陥らない仕組みをつくることです。

①誰にも見られず、誰にも知られずに不正を実行できる機会がある(社内の人の動き、金の流れを熟知している)

②経営者や上司から全面的な信頼を得ているという自信から、疑われるリスクが極めて低いと考えている。また、任された業務は信頼の丸投げ状態にあり、誰からのチェックも受けず、一人で如何様にも処理できる。このことが、不正の発覚を困難にする改ざんや偽造などの隠蔽工作を容易にしている(不正の発覚を困難にする信頼の丸投げ状態)

③万が一不正が発覚しても、「会社は外部に知られるのを恐れて大ごとにしない」とか「自分の会社への貢献度を考えれば大目に見てくれる」などと考えて良心の呵責を乗り越える(自分の行為を正当化する)

上記の不正トラップの3つの状況が揃うと、不正が起こる危険性は極めて高くなります。そして、この不正トラップには、積極的な「動機」は必要ないのです。わが国の横領・着服事件のほとんどは積極的な動機が見当たりません。自由にできるお金があったから、使ってしまった。いつまでたっても見つからないので、さらに使ってしまい、お金を使う楽しさにおぼれ、さらに不正を繰り返すといった不正のスパイラルに陥ってしまうのです。そして不正金額が膨大な規模になってやっと発覚する、というパターンが繰り返されているのです。

今回の事件でも、容疑者には会社の預金が単なる「大金が詰まった財布」にしか見えなくなっていたのでしょう。

それでは、今回の事件を「不正トラップ(罠):3つの状況」に当てはめて考えてみましょう。(なお、下線コメントは推測です)

(社内の人の動き、金の流れを熟知している)15年間一貫して経理・財務を担当していることから、実行は極めて容易だった。

②(不正の発覚を困難にする信頼の丸投げ状態)社長は非常勤、副社長も事業の内容を詳細には理解していないという中で、誰からのチェックも受けず、不正の隠ぺい工作もいかようにも可能だった。

(自分の行為を正当化する)親会社から子会社に出向させられ、さらに地方に転勤。そのことによる鬱屈、そして諦めのような思いが、会社に対して自分を正当に評価してくれなかったという不満をつのらせ、これぐらい貰っても当然だ、などと勝手に思い込む。

上記から解るように、容疑者は不正トラップに陥っていた可能性が極めて高いと思われます。

上記の不正トラップに関して、特に中小企業の横領事件における際立った特徴は、②の「信頼を丸投げされている状態」が必ずといってよいほど該当していることです。今回の事件も会社は上場会社のグループ企業ではあるものの、子会社自体は中小企業だといえます。

中小企業の不正対策で重要なのは「信頼の丸投げ」ではなく、信頼して業務を任せる代わりに「信頼の証」(自身の仕事の過程と結果を積極的にディスクローズさせること、また、自身の仕事が他者にチェックされることを受け入れること)を要求することです。「信頼していたのに裏切られた」と経営者は嘆きます。しかし、信頼するだけでは不正行為は防げないのです。それは、不正トラップという環境が人を狂わせるからです。

最後に、わが国の企業不正(特に横領・着服)の際立った特徴を説明しておきます。それは、以下の3つです。

①積極的な動機がない。だからこそ、被害額が無制限に拡大する。
⇒やむを得ない事情でお金に困っているならば、必要額以上に拡大しない。そして、発覚前に何とか返済しようとする。
⇒自由にできるお金が目の前にあったから着服してしまった。そしてギャンブルや女にはまってさらに着服する、という不正のスパイラルに陥る。

②企業不正は、学歴・社会経験・人格などに関係なく、誰でも不正実行者になり得る。
⇒大学教授による研究費不正は後を絶たない。
例)元東大教授の実刑判決
大学から研究費をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた東京大政策ビジョン研究センター元教授(58)=懲戒解雇=の判決がH28年6月28日、東京地裁であった。稗田雅洋裁判長は「研究者への信頼を逆手にとった巧妙な犯行だ」として、懲役3年(求刑懲役5年)を言い渡した。

③不正実行者の特徴は、「まじめ」、「小心者」、「社内の信頼が厚い」など、外形的には不正を行うとは思えない者が圧倒的に多い。
⇒だからこそ、発覚した時に皆が「まさかあいつが・・・・・」と絶句する。
⇒・「まじめ」だから疑われない。
・「小心者」だから発覚しないように細心の注意を払う。
・「社内の信頼が厚い」から如何様にも隠ぺい工作(証拠の偽造、改ざん)ができる。

あなたの会社は不正トラップを放置していませんか?経営者は従業員に信頼を丸投げしていませんか?

(なお、コラムに記載した内容は、あくまでも私見であり、一般的な見解と異なる可能性があることをご了承願います)